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ソウルの中心地、市庁(シチョン)と徳寿宮(トクスグン)
徳寿宮は元々は朝鮮時代に王族が住んでいた宮廷でしたが、朝鮮時代中期に起きた豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時、ソウル市内のほとんどの宮殿が破壊され、臨時に王の居所がここに移されました。以降、宮殿として使用されるようになったのです。徳寿宮の建物には伝統的な朝鮮建築の様式だけでなく、西洋の建築様式によって建てられたものも多くあります。なぜなら、19世紀以後、列強勢力が朝鮮に入るようになり、国力はみるみる衰え、徳寿宮の建築物の一部は壊され、新しく西洋の建築様式で建てられたものになったからです。美しく整備されていますが、諸外国に踏みにじられた歴史が刻まれている王宮です。
 
徳寿宮
徳寿宮
徳寿宮の正門である大漢門の前では、王宮を守る兵士たちの勤務交代式を行っています。この「王宮守門将交代儀礼」は、1995年から伝統文化復活行事の一環として実施されてきた王宮の伝統儀式の1つ。儀式順序、服装および号令まですべて徹底した考証に基づいて行われています。ソウルの市民だけでなく、外国からの観光客にと人気のあるイベントです。解説は韓国語、英語、日本語で行われますので、ぜひご観覧ください。また、徳寿宮の左手の壁沿いの道は、ソウル市内でも雰囲気がある道としてとても有名です。この道を歩いていけば、伝統芸能の上演をしているチョンドン劇場に行けます。  
徳寿宮の守門将交代儀式
王宮守門将交代儀式は王宮の「禁軍」つまり近衛兵の交代儀式のこと。朝鮮王朝時代に禁軍として禁衛営、御営庁、訓錬都監が設置され、王宮の警備のため内禁衛や武芸庁が置かれました。「禁軍」という呼び名は当時庶民は王宮内に立ち入り禁止、つまり禁内、禁宮と呼ばれたことからついた名称。
普段禁軍は王の警護や門の開閉、宮内外を見回ったりして王宮の警護にあたっていました。王宮守門将交代儀式は徳寿宮の他、景福宮でも行われています。
景福宮
李氏朝鮮の初代王太祖(テジョ)が1392年に開城(ケソン)で王に即位し、その2年後1394年に現在のソウルにあたる漢陽へ遷都を決定し王宮の建設が始まり1395年から正宮として使用され城郭と四大門も整備されました。1592年の文禄の役において破壊され、その後270年間は離宮の昌徳宮が正殿に使用されたため景福宮は再建されずにいました。 1865年に興宣大院君が再建したが1910年から日本の植民地支配が始まると王宮としての役を終え、大半が破壊されてしまいました。現在は北側の部分が青瓦台(大統領官邸)として使用されていますが、91年から正門の光化門を始め復元作業が行われており2025年にすべての復元作業が完了する予定です。
ソウル広場(ソウル市庁前広場)
ソウル広場はソウル市庁前に、市民の憩いの場として整備された公園。週末にはイベントも行われ、またワールドカップや国家代表戦など市民の関心の高いスポーツが行われる時には全国から人々が集まり、熱い声援を送る場としても有名です。 広場には噴水、芝生や野外ステージも整備され、また冬季にはアイススケートリンクもオープンし、家族連れやカップルでいつも賑わっています。「ソウル広場」という名称は市民たちからの公募で名づけられました。
市庁 (シチョン)・光化門(カンファムン)エリア